気仙沼に行ってきました

8月11日〜13日に気仙沼に行ってきた。
少し遅くなったけど、そこで感じたことを書いておこうと思う。

震災、津波原発事故。3.11以降それらについての情報には絶えず触れてきたし、自分の研究室で「復興プロジェクト」と名のつくこともやっていた。でも遠く関西に住む身としては、どうしても、3.11を自分の問題として感じることができなかった。だから一度、自分の目で見て、感じてみたい。そう思っていたところに、気仙沼で慶応大の合宿件フィールドワークがあるとtwitterで知人がつぶやいているのを見て、飛び込みで参加させてもらったというのがそもそもの経緯だ。

気仙沼駅に降り立つと、がれきもなく、少ないが開いている店もあって、復興も順調に進んでいるのかなと思っていた。でも二日目に鹿折(ししおれ)地区を訪れた時、それがほんの一部分にすぎないと気付いた。そこでは積み上げられたがれきの山が延々と広がっているだけだった。

鹿折地区のがれきの山。地盤沈下のため、満潮時には水がわきだす。

陸上に打ち上げられた巨大な船

津波ってこういうことなんだ。と思った。本当に、行ってみなければわからない、というのはこのことだと思った。京都では全く感じられなかった「実感」というものがずしりと勝手に落ちてきた。ただその実感を前にして、どうすることもできなかった。


一日目には住民の方々と対話する機会があった。そこで考えさせられたのは、「幸せとは何か」というテーマだった。例えば、対話の中で「復興競争」や「復旧より復興を」という言葉が出てきていた。震災の直後はただ生きていることや、家族のきずなをありがたく感じていたが、1,2カ月たつと徐々に物質的な欲求が高まって行く。同時に、周囲との比較・対抗心が芽生え始めて、いまでは復興の進行を競い合っているように感じると地元の方は言う。物質的に満たされた生活水準を当然のものとしてとらえてしまったり、その達成度を他と比較してしまうと、「過去の」生活水準に戻るまでは常にマイナスであり、それはただつらい道のりでしかない。だから逆に、自分たちの地域を、自分たちの地域らしく、ゼロから盛り上げていく、自分たちで「未来を」新しく創って行くんだ、小さなプラスを積み重ねて行くんだ、という発想が大切なのだと思う。実際そのような活動をされていて、未来を語る方々の顔は、つらい中でも生き生きしているようにも感じられた。
これは決して、気仙沼や被災地に限ったことじゃないと僕は思う。他の地域や、さらには僕たち一人一人にも当てはまるんじゃないかな。平均の生活水準がどんどん上がって、モノが何でも手に入って、何の不自由もない。今の日本はそんな世の中だから、自分の手で、自分にとっての小さなプラスを積み上げていくという行為がなかなかやりにくくなっているのかもしれない。自分やみんなが今持っているものを、当然と思わないで、むしろたまには自分から捨ててみる。未来を語り、新しく創って行く。そんな考え方で生きようと思った。気仙沼に行ったことは、自分の暮らし方を実感をもって考えなおすきっかけになった。


もうひとつ、気仙沼の三日間で印象的だったのは、海辺に飛び交うウミネコの姿だった。
人々が日常を取り戻すのに必死になっている中で、彼らは悠々と日常を生きていた。人々が黙祷をささげている上で、猫のような鳴き声を上げて飛び交っていた。彼らには震災も津波も全くなかったかのようだった。
人は多くのものを築き上げてきたからこそ、多くを失ったのだろう。これから復興を進めて行っても、また失う時は来るに違いない。ただ、また津波が来るかもしれないという不安を感じつつも、海と離れては生きてはいけないという想いが、気仙沼の人たちからは感じられた。「津波のリスクの分だけ、海からしっかり恵みを受けている。だから壊れてはまた創りを繰り返して生きて行くしかないと思う。」という地元の方の発言に、世の中に飛び交う「共生」や「地球にやさしい」のような表現では決して表しきれない、「自然と向き合って生きる」ことの本質があるんじゃないかと思う。


山上から見た気仙沼市

まだまだ復興は進んでいないようだったけれど、それでも気仙沼は魅力的な街に見えた。
それは、そこに生きる人たちの心意気や、海と向き合って生きる暮らし方が魅力的だったからだと思う。
また行きたい、みんなにも行ってほしい、そう思えるような街だった。
気仙沼のことをこれからも考え続けたい、そう思えるような街だった。

まだまだ、これから。